システム内存在の不可能性の認識、及び全体性の恣意的生成の可能性について
夜歩くのは楽しい。陳腐な言い方をすれば、昼間の日常が違った側面を見せるからだとも言える。視界が悪い分、世界と自分の境界があいまいになり、ちょっとの間だけ自分という重さを忘れることができるから、とも言える。なんにせよ、それは手軽に手に入れられる高揚感であり、即効性のある気分転換だ。だから部屋の中にじっとしていて息苦しく感じると、すぐにでも家を飛び出したい衝動に駆られる。そしてついふらふらと出かけてしまうのだ。しかも厄介なことに、雨が降っているときでさえこの発作がおきることがある。ちょうどこの日もそうだった。雨の日ぐらい家でじっとしていればいいものを、ちょっと暗鬱な気分を抱えていたせいか、つい強引に飛び出してしまった。あいにくと小雨がぱらつく程度だったので、ためらいがなかった。
特に行く先は決めない。いつもの事だ。気分によってはただコンビニをはしごするだけだったり、昔通った中学校の前を歩いてみたり、普段利用しない駅に行っては構内をぶらついてみたりする。そうした偶発的な場所が気分を高揚させた。
だがどうしたことだろう。今日に限って中々楽しい気分になれないでいた。雨がいけないのではない。また、ちょっと壊れかけた傘がいけないのでもない。むしろそういったイレギュラーな出来事は、よりいっそう状況を楽しくさせるはずなのだ。ただ何となく今日は心の中に蓄積したモヤモヤがいつまでも残って離れない。
別に何か理由があって気分が晴れないのではない。財布を落としただとか、家が火事になったなんていう分かりやすい出来事があるならまだしも、おかげさまで苦厄災難とはまったくもって無縁で生きている。人間関係に問題など抱えていないし、体も心もすこぶる健康。もちろん借金もない。当然世界情勢を憂いているなんてこともなければ、日本の行く末を案ずるなどということも断じてない。ただ漠然とした居心地の悪さが、厳然としてそこにあるのだった。
そんな折、24時間営業のスーパーの前を通りかかった。別に取り立てて買い物があるわけではなかったが、特に行くあてがあるわけではないのでふらりと立ち寄ってみる。時間はPM9:30を過ぎたぐらいだったと思う。入ってみて驚くのは人の多さだ。こんな時間にたくさん人がいるはずがないと思うが、そうではない。むしろこの時間帯は狙い目なのだ。なにがって、食品売り場では今頃がちょうど商品の値引きが始まるのだ。パン売り場では全品100円均一になっていて、我先に高いパンを手に入れようと人だかりができている。
華やかな青果売り場の前を通る。やけに大きなメロンの玉が、こんな夜だというのにうずたかく積まれている。バナナやオレンジといったありふれたものだけではない。世界中から取り寄せたと思しき原色の果物があちらこちらに飾られ、買い物客の耳目を引く。
しかしそうした華やかさはむしろ居心地の悪さを増殖させ、そぐわない感覚をよりいっそう強めてしまうのだった。
もう出ようか。そう思い始めたとき、ふとそれに目が留まった。賞味期限間近の青果が、値引きされパック詰めにされて、ワゴンの上に集めて置かれている。少し黒ずんだバナナだとか、いかにも売れなさそうな赤ピーマンの束。その横に、見たことのない、ピンポン玉位の大きさのものが一個、袋詰めにされて置いてあった。
マンゴスチン

袋にはそう書かれていた。聞いたことはある。袋にはアメリカ産と書いてあるが、それは多分違う。おそらくレモンか何かを詰める袋を流用しただけで、本当はアジアの国のどこかから来ているはずだ。遥々遠くの国から輸入されておきながら、売れずに安価で適当に放り出されている果物。しかしそれが妙に気を引いた。50円だ。それ一個だけをレジに持って行き、会計を済ませると、意気揚々と帰路についた。モヤモヤした気分はいつの間にか消え、なんだか妙に楽しかった。
家に帰ってきて早速考える。これはどうやって食べるのか。ネットで調べてみると、やはりこれはタイ産だった。それまではミカンコミバエという害虫がいるため日本への輸入は長年規制されていたそうだが、蒸熱処理による殺虫試験が有効であることが分かり解禁になったという。
まあ、とりあえずそんな豆知識はどうでもよく、なにはともあれ包丁を入れてみた。不思議な形状をしたその実をしばらくシゲシゲと眺めつつ、一粒口に放り込む。甘くもあり、すっぱくもあるその果実は、ねっとりと舌に絡みついて、すぐに消えた。今まで食べたことのない、それゆえ記憶に残りにくい感じのものだった。あっという間に全部食べ終わり、しばらくすると直ぐにどんな味だったのか忘れてしまった。

忘れてしまった。さっきまで抱えていた漠然とした違和感と同じように。確固として現実であったものも、結局忘れてしまえばもうどうでもいいことになってしまう。まあ、売れ残った果実にはふさわしいことなのもしれないな、なんてことをちょっと妄想して、なんだか一人納得してほくそ笑むのだった。

特に行く先は決めない。いつもの事だ。気分によってはただコンビニをはしごするだけだったり、昔通った中学校の前を歩いてみたり、普段利用しない駅に行っては構内をぶらついてみたりする。そうした偶発的な場所が気分を高揚させた。
だがどうしたことだろう。今日に限って中々楽しい気分になれないでいた。雨がいけないのではない。また、ちょっと壊れかけた傘がいけないのでもない。むしろそういったイレギュラーな出来事は、よりいっそう状況を楽しくさせるはずなのだ。ただ何となく今日は心の中に蓄積したモヤモヤがいつまでも残って離れない。
別に何か理由があって気分が晴れないのではない。財布を落としただとか、家が火事になったなんていう分かりやすい出来事があるならまだしも、おかげさまで苦厄災難とはまったくもって無縁で生きている。人間関係に問題など抱えていないし、体も心もすこぶる健康。もちろん借金もない。当然世界情勢を憂いているなんてこともなければ、日本の行く末を案ずるなどということも断じてない。ただ漠然とした居心地の悪さが、厳然としてそこにあるのだった。
そんな折、24時間営業のスーパーの前を通りかかった。別に取り立てて買い物があるわけではなかったが、特に行くあてがあるわけではないのでふらりと立ち寄ってみる。時間はPM9:30を過ぎたぐらいだったと思う。入ってみて驚くのは人の多さだ。こんな時間にたくさん人がいるはずがないと思うが、そうではない。むしろこの時間帯は狙い目なのだ。なにがって、食品売り場では今頃がちょうど商品の値引きが始まるのだ。パン売り場では全品100円均一になっていて、我先に高いパンを手に入れようと人だかりができている。
華やかな青果売り場の前を通る。やけに大きなメロンの玉が、こんな夜だというのにうずたかく積まれている。バナナやオレンジといったありふれたものだけではない。世界中から取り寄せたと思しき原色の果物があちらこちらに飾られ、買い物客の耳目を引く。
しかしそうした華やかさはむしろ居心地の悪さを増殖させ、そぐわない感覚をよりいっそう強めてしまうのだった。
もう出ようか。そう思い始めたとき、ふとそれに目が留まった。賞味期限間近の青果が、値引きされパック詰めにされて、ワゴンの上に集めて置かれている。少し黒ずんだバナナだとか、いかにも売れなさそうな赤ピーマンの束。その横に、見たことのない、ピンポン玉位の大きさのものが一個、袋詰めにされて置いてあった。
マンゴスチン
袋にはそう書かれていた。聞いたことはある。袋にはアメリカ産と書いてあるが、それは多分違う。おそらくレモンか何かを詰める袋を流用しただけで、本当はアジアの国のどこかから来ているはずだ。遥々遠くの国から輸入されておきながら、売れずに安価で適当に放り出されている果物。しかしそれが妙に気を引いた。50円だ。それ一個だけをレジに持って行き、会計を済ませると、意気揚々と帰路についた。モヤモヤした気分はいつの間にか消え、なんだか妙に楽しかった。
家に帰ってきて早速考える。これはどうやって食べるのか。ネットで調べてみると、やはりこれはタイ産だった。それまではミカンコミバエという害虫がいるため日本への輸入は長年規制されていたそうだが、蒸熱処理による殺虫試験が有効であることが分かり解禁になったという。
まあ、とりあえずそんな豆知識はどうでもよく、なにはともあれ包丁を入れてみた。不思議な形状をしたその実をしばらくシゲシゲと眺めつつ、一粒口に放り込む。甘くもあり、すっぱくもあるその果実は、ねっとりと舌に絡みついて、すぐに消えた。今まで食べたことのない、それゆえ記憶に残りにくい感じのものだった。あっという間に全部食べ終わり、しばらくすると直ぐにどんな味だったのか忘れてしまった。
忘れてしまった。さっきまで抱えていた漠然とした違和感と同じように。確固として現実であったものも、結局忘れてしまえばもうどうでもいいことになってしまう。まあ、売れ残った果実にはふさわしいことなのもしれないな、なんてことをちょっと妄想して、なんだか一人納得してほくそ笑むのだった。
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プロフィール
HN:
tes626
性別:
男性
自己紹介:
★座右の銘
どんな愚行や自傷行為も、面白ければすべてよし
★本ブログのモチーフ
システムの中にいるものは決してシステムそのものを変革することはできない。システムとは、システムの内外を隔てる境界の存在のことであり、変革とは境界の外から内部を指し示す恣意的行為である。
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