システム内存在の不可能性の認識、及び全体性の恣意的生成の可能性について
先日、携帯に配信されてくるニュースを見ていると、こんな奇妙な事件が目に留まった。
想像してみて欲しい。川原の河川敷に突如として現れる散弾銃を。行田市といえば古墳などが発掘されたことで有名な、のどかで広大な田園都市である。しかし別に狩猟が出来るような奥深い森林があるわけでもなく、田畑に舞う野鳥を打ち落とすハンターがいるわけでもない。特に理由が分からないままに、突如として発見された殺傷武器。しかも記事によると薬きょうが見つかったとある。つまり実際に弾が発射されたということだ。人通りが少ないとはいえ、仮にも都市部である。何者かが散弾銃を乱射し、そしてそれを打ち捨てていく場所とはいったいどんな場所なのか、もしくはどんな雰囲気を漂わせるのか。これは興味深くはないだろうか?聞くのと実際に見てみるのとでは大違いだろうし、それに行田市といえば家からそう遠くない場所だ。こんなチャンスは滅多にない。好奇心と野次馬根性の赴くまま、実際に行って確かめてみることにした。プチ“スタンドバイミー”ごっこである。
よく晴れた土曜日。いくつかの電車を乗り継ぎ、いかにも地方都市にありそうな古びたローカル電車に乗る頃には、辺りはすっかり辺鄙な田園風景へと様相を変える。事件のあったと思しき最寄り駅で下車し、プラットフォームに降り立つと、人気の全くない駅に一人ぽつんと取り残される。時間はすでに昼の十二時を過ぎていた。携帯を取り出し、Googleマップで現在地を確認する。地図で見る限りなんとか歩いて行ける距離だろうと高をくくり、漠然と北を目指して歩き始めた。

寂寞とした町並み、たたずまいとでも言おうか。20分くらい歩いてみたが、まず何より人に出会わない。駅構内にも駅前通りにも誰一人いない。そして辺り一面見渡す限りの畑。はるか遠方から耕うん機のモーター音が聞こえて来るが、それが一層この場所の人の不在を強調してなんとなく薄ら寒く感じる。時々思い出したように、何台か車が路地を通り過ぎていく。確かに人はいるのだ。しかし全然通行人に出会わないのと、見知らぬ土地を歩いているのとが重なり、すっかり人間社会から隔離されてしまった感が襲ってくる。人がいるはずなのにどこにもいない。勝手に人の家に上がりこんだけど、誰もいなくて逆に落ち着かない。そんな感じだ。
見渡す限りの澄み渡る秋空、どこまでも続く美しい黄金色の稲穂。もう一時間ぐらい歩いただろうか。風光明媚な景色の只中にあって、徐々に時間の感覚が麻痺して行く。自分は今どこにいて、そしてなぜここを歩いているのか。そんなことが段々と曖昧になっていく。もしかしたらこのまま迷子になって帰れなくなってしまうんじゃないのか?もしくは不審者と間違われて銃を捨てた犯人にされてしまうとか?そんな意味不明な妄想が頻繁に頭をよぎるようになる。なにやら禁断症状めいた感じが襲ってきたので慌ててiPodを取り出し、音楽で何とか気を紛らわせる。
そういえば、洗脳における第一歩は外界からの情報を遮断することからだと聞いたことがある。何一つ見知ったもののない場所をよくわからないままに歩くことは、まさに情報遮断に等しい。世界への実感が薄まり、軽い変性意識状態にあるときに、幻聴のようなものが聞こえてはこないのだろうか。例えば銃声とか…
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雑念を振り払いつつ、ただひたすらに歩き続けていると、本当にどれくらい歩いただろう、ふと突然河川敷の土手らしきものが目に入る。
あ、あれは!
意気揚々と駆け寄り、きちんと雑草が刈り込まれた土手を一目散に登り詰めると、そこには悠々と流れる利根川の流れが眼前いっぱいに広がっていた。川原の傍には車が何台か駐車され、人の姿もちらほらと見受けられる。釣りでもやっているのだろうか?その周囲には赤や黄色のコスモスが咲き乱れ、美しい秋の様相を呈している。やっと人里にたどり着いた旅人よろしく、安堵が全身に広がる。そしてなぜだかこの時、ふと思ったのだ。
ここだ。この安住の地にこそ、混沌とした人間の妄想やら雑念やらのはけ口がある。だからこそ散弾銃はこの場所に打ち捨てられたのだ。なんだか一人妙に納得し、晴れ晴れとした気分で川原の景色をただじっと、いつまでもいつまでも眺めているのだった。

厂厂厂厂厂厂厂厂厂厂厂厂厂厂厂厂厂厂厂厂厂厂厂厂厂厂
帰り道。キンモクセイの香りにつられ、ふらりと立ち寄った風車のある公園の中をぶらぶらと散策しつつ、今日の出来事について振り返ってみる。思えば今無事にここにいられるのも、携帯の地図やらiPodといった文明の利器によるところが大きいなと思う。いや、まずそもそもこんな見知らぬ場所を歩いていること自体、携帯に配信されたニュースを見たのがきっかけだったではないか。そう思うとなんだか不思議な気もする。自分の発想、自由意志。それらを可能にするのは結局のところ、自分の計り知らない所で整備された社会システムのおかげなのだ。これはそもそも自由意志なのか?要するに全ては想定の範囲内での冒険ごっこでしかないのではないか。
そこで、まあ別にどうでもいいことではあるけど、ほんの少しだけそれに逆らってみることにした。iPodをしまい、携帯の電源を切って、漠然と南の方角へと歩き始める。確かこっちの方角には来たのとは違う別の駅があったはずだ。気の向くまま行ってみることにした。相変わらずどこまでも続く田園風景の只中を。
ふと立ち止まり、じっと耳を澄ませる。どこからともなく散弾銃の銃声が聞こえて来やしないかと、遥か遠くの方まで聞き耳を立ててみる。だが結局のところ何も聞こえず、少し暗くなりかけた歩道の上でただ一人、ぽつんと取り残されるのみだった。
埼玉県警行田署は、行田市須加の利根川右岸の土手で、散弾銃やライフルの弾など計633個が見つかったと発表した。何者かが捨てた可能性が高いとみて火薬類取締法違反(不適正処理)容疑で捜査している。
調べでは、土手を除草していた男性作業員(44)が弾を発見、同署に通報した。署員が付近を検索し、約15メートル四方にわたって、クレー射撃か狩猟用の散弾銃の弾296個、狩猟用のライフルの弾292個、薬きょう45個が見つかった。ライフルの弾は数種類あり、ケース(高さ25センチ、幅14 センチ、横35センチ)に入っているのもあった。
想像してみて欲しい。川原の河川敷に突如として現れる散弾銃を。行田市といえば古墳などが発掘されたことで有名な、のどかで広大な田園都市である。しかし別に狩猟が出来るような奥深い森林があるわけでもなく、田畑に舞う野鳥を打ち落とすハンターがいるわけでもない。特に理由が分からないままに、突如として発見された殺傷武器。しかも記事によると薬きょうが見つかったとある。つまり実際に弾が発射されたということだ。人通りが少ないとはいえ、仮にも都市部である。何者かが散弾銃を乱射し、そしてそれを打ち捨てていく場所とはいったいどんな場所なのか、もしくはどんな雰囲気を漂わせるのか。これは興味深くはないだろうか?聞くのと実際に見てみるのとでは大違いだろうし、それに行田市といえば家からそう遠くない場所だ。こんなチャンスは滅多にない。好奇心と野次馬根性の赴くまま、実際に行って確かめてみることにした。プチ“スタンドバイミー”ごっこである。
よく晴れた土曜日。いくつかの電車を乗り継ぎ、いかにも地方都市にありそうな古びたローカル電車に乗る頃には、辺りはすっかり辺鄙な田園風景へと様相を変える。事件のあったと思しき最寄り駅で下車し、プラットフォームに降り立つと、人気の全くない駅に一人ぽつんと取り残される。時間はすでに昼の十二時を過ぎていた。携帯を取り出し、Googleマップで現在地を確認する。地図で見る限りなんとか歩いて行ける距離だろうと高をくくり、漠然と北を目指して歩き始めた。
寂寞とした町並み、たたずまいとでも言おうか。20分くらい歩いてみたが、まず何より人に出会わない。駅構内にも駅前通りにも誰一人いない。そして辺り一面見渡す限りの畑。はるか遠方から耕うん機のモーター音が聞こえて来るが、それが一層この場所の人の不在を強調してなんとなく薄ら寒く感じる。時々思い出したように、何台か車が路地を通り過ぎていく。確かに人はいるのだ。しかし全然通行人に出会わないのと、見知らぬ土地を歩いているのとが重なり、すっかり人間社会から隔離されてしまった感が襲ってくる。人がいるはずなのにどこにもいない。勝手に人の家に上がりこんだけど、誰もいなくて逆に落ち着かない。そんな感じだ。
見渡す限りの澄み渡る秋空、どこまでも続く美しい黄金色の稲穂。もう一時間ぐらい歩いただろうか。風光明媚な景色の只中にあって、徐々に時間の感覚が麻痺して行く。自分は今どこにいて、そしてなぜここを歩いているのか。そんなことが段々と曖昧になっていく。もしかしたらこのまま迷子になって帰れなくなってしまうんじゃないのか?もしくは不審者と間違われて銃を捨てた犯人にされてしまうとか?そんな意味不明な妄想が頻繁に頭をよぎるようになる。なにやら禁断症状めいた感じが襲ってきたので慌ててiPodを取り出し、音楽で何とか気を紛らわせる。
そういえば、洗脳における第一歩は外界からの情報を遮断することからだと聞いたことがある。何一つ見知ったもののない場所をよくわからないままに歩くことは、まさに情報遮断に等しい。世界への実感が薄まり、軽い変性意識状態にあるときに、幻聴のようなものが聞こえてはこないのだろうか。例えば銃声とか…
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雑念を振り払いつつ、ただひたすらに歩き続けていると、本当にどれくらい歩いただろう、ふと突然河川敷の土手らしきものが目に入る。
あ、あれは!
意気揚々と駆け寄り、きちんと雑草が刈り込まれた土手を一目散に登り詰めると、そこには悠々と流れる利根川の流れが眼前いっぱいに広がっていた。川原の傍には車が何台か駐車され、人の姿もちらほらと見受けられる。釣りでもやっているのだろうか?その周囲には赤や黄色のコスモスが咲き乱れ、美しい秋の様相を呈している。やっと人里にたどり着いた旅人よろしく、安堵が全身に広がる。そしてなぜだかこの時、ふと思ったのだ。
ここだ。この安住の地にこそ、混沌とした人間の妄想やら雑念やらのはけ口がある。だからこそ散弾銃はこの場所に打ち捨てられたのだ。なんだか一人妙に納得し、晴れ晴れとした気分で川原の景色をただじっと、いつまでもいつまでも眺めているのだった。
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そこで、まあ別にどうでもいいことではあるけど、ほんの少しだけそれに逆らってみることにした。iPodをしまい、携帯の電源を切って、漠然と南の方角へと歩き始める。確かこっちの方角には来たのとは違う別の駅があったはずだ。気の向くまま行ってみることにした。相変わらずどこまでも続く田園風景の只中を。
ふと立ち止まり、じっと耳を澄ませる。どこからともなく散弾銃の銃声が聞こえて来やしないかと、遥か遠くの方まで聞き耳を立ててみる。だが結局のところ何も聞こえず、少し暗くなりかけた歩道の上でただ一人、ぽつんと取り残されるのみだった。
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★座右の銘
どんな愚行や自傷行為も、面白ければすべてよし
★本ブログのモチーフ
システムの中にいるものは決してシステムそのものを変革することはできない。システムとは、システムの内外を隔てる境界の存在のことであり、変革とは境界の外から内部を指し示す恣意的行為である。
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