システム内存在の不可能性の認識、及び全体性の恣意的生成の可能性について
先日何気なくテレビを見ているとちょっと面白い話に出くわした。視聴者が撮った写真に偶然写っていたUFOらしき物体が本物かどうかを検証する内容で、結論としてそれは何かの光が反射してたまたま写りこんだ影である、という専門家の話で決着がつくのだが、その話を受けてパーソナリティーがこんな話を始めた。「自分もかつて仲間と一緒にいるとき、何か不可思議な黒い浮遊物を見たことがあった。騒ぎになってあれが何かを調べさせたところ、後になってそれはどこかの観測所の測量機であることが判明した。しかしその得体の知れない飛行物体を見ていたほんの数十分の間中、我々はとても幸せだった。」のだと。
UFOの真偽のほどはさておき、そういった得体の知れないものや想定外の出来事(災害等)を前にして、えも言われぬ高揚感に包まれるのは何も珍しいことではない。恒常的日常性の前に、突如として現れる“規定外”の事象は、自分の立ち居地を揺るがし、確固とした現実を無力化させる。それは非現実を馴致させる契機を与え、人を高揚させるのだ。医学的には一種の精神麻薬のようなものといわれているが、例えば日本で起こった幾つかの災害や、例のアメリカ同時多発テロ事件などの事後レポートなどに目を通してみると、こういった奇妙な“多幸感”が人々の間に訪れたという記載を見ることができる。
そういえば自分にも昔こんな体験がある。学校からの帰り道に、乗っていた電車が突然何の前触れも無く緊急停止したことがあった。だがそんなことは別段珍しいことではなく、きっとどこかの駅で線路内に人が立ち入ったとか、もしくは信号機の故障だとか、多分そんなことだろうと思ってさして気にも留めずにいた。しかし何の説明も無く10分が経ち、15分が過ぎる頃、さすがにこれは何かおかしいのではと思い始めたその時、車内にこんなアナウンスが流れた。
「ただ今この列車にて人身事故が発生いたしました。現在確認作業をいたしておりますので今しばらくお待ちください。」
一瞬の静寂の後、車内がいっせいにざわめきだす。この列車が人を轢いてしまったのだ。今この車両の下に人一人、おそらく無残な轢死体となってあちこちに散らばっているのかと思うと、なんともいえない不快感が襲ってきて落ち着かなくなる。そしてそんな不安感をさらに煽るアナウンスがしばらく後に続いた。
「今現在、車輪に挟まっております人の撤去作業を致しております。今しばらくお待ちください。」
その時奇妙なことが起こった。車両内に形状しがたい一体感が生まれ、人々の間に打ち解けた雰囲気が漂いだしたのだ。目の前に座っていたサラリーマンと隣にいた主婦らしき人が(恐らく赤の他人同士)事故の状況について意気揚々と話し出す。聞こえてくる人々のざわめきも親しげで、きっと何か手伝うことができれば、みんな喜んで手を貸すようなそんな善意あふれる感じだった。おぞましい惨事の周辺にいる人々は驚愕し、高揚し、そして一体化する。人身事故を前にして、人々が繋がったのだ。それは実に不思議な光景だった。そして、正直に言おう。自分もちょっとわくわくしていた。
…しかしそんな親しげな雰囲気も列車が止まっている間だけだった。事故処理が終わり、結局全員車両を降ろされ、次の駅まで歩いて行くことになるのだが、その頃には既に打ち解けた感じは消えて無くなり、人々はまた以前の赤の他人へと戻っていた。
★∞◎∞☆∞◎∞★∞◎∞☆∞◎∞★∞◎∞☆∞◎★∞◎

JR浦和駅を降りて「大久保浄水場」行きのバスに乗り、「道場(どうじょう)」で下車する。するとそこから歩いて10分程のところに、見上げんばかりの巨大な電波塔がそびえ立っている。正式名称をNHK平野原送信所(ひらのはらそうしんじょ)と呼ぶが、その形状がロケットに似ていることから、密かに“ロケットタワー”などと呼ばれていたりもする。埼玉全域にわたってFM放送やテレビ埼玉の電波を送っているこの塔は、全長173mもの巨体を田園風景の只中に晒し、遥か遠くからでもその容姿を誇示してやまない。

このロケットタワーを見上げる度にいつも思うことがある。
あの巨大な塔が、いつか強風に煽られて、倒れてくれないかと。
幸い周りは田んぼだらけだ。うまく倒れれば人的被害は無い。
だから切に願う。
轟音を立てつつ、倒壊するその瞬間を。
そして、倒れた塔の瓦礫の周りに皆で集まり、
その惨事の前で一つになろう。
平時にはついぞ成し得ることの無い濃密な空間の輪の中で。

それはさぞかし素晴らしいに違いないと、夢想しつつ、今日もまたあの電波塔を見上げるのだ。

UFOの真偽のほどはさておき、そういった得体の知れないものや想定外の出来事(災害等)を前にして、えも言われぬ高揚感に包まれるのは何も珍しいことではない。恒常的日常性の前に、突如として現れる“規定外”の事象は、自分の立ち居地を揺るがし、確固とした現実を無力化させる。それは非現実を馴致させる契機を与え、人を高揚させるのだ。医学的には一種の精神麻薬のようなものといわれているが、例えば日本で起こった幾つかの災害や、例のアメリカ同時多発テロ事件などの事後レポートなどに目を通してみると、こういった奇妙な“多幸感”が人々の間に訪れたという記載を見ることができる。
“あの震災の最中、我々は奇妙な一体感と高揚感に包まれていた”
“瓦礫の山を前にして、一時的にせよ高揚感ですっかり感覚が麻痺していた”
そういえば自分にも昔こんな体験がある。学校からの帰り道に、乗っていた電車が突然何の前触れも無く緊急停止したことがあった。だがそんなことは別段珍しいことではなく、きっとどこかの駅で線路内に人が立ち入ったとか、もしくは信号機の故障だとか、多分そんなことだろうと思ってさして気にも留めずにいた。しかし何の説明も無く10分が経ち、15分が過ぎる頃、さすがにこれは何かおかしいのではと思い始めたその時、車内にこんなアナウンスが流れた。
「ただ今この列車にて人身事故が発生いたしました。現在確認作業をいたしておりますので今しばらくお待ちください。」
一瞬の静寂の後、車内がいっせいにざわめきだす。この列車が人を轢いてしまったのだ。今この車両の下に人一人、おそらく無残な轢死体となってあちこちに散らばっているのかと思うと、なんともいえない不快感が襲ってきて落ち着かなくなる。そしてそんな不安感をさらに煽るアナウンスがしばらく後に続いた。
「今現在、車輪に挟まっております人の撤去作業を致しております。今しばらくお待ちください。」
その時奇妙なことが起こった。車両内に形状しがたい一体感が生まれ、人々の間に打ち解けた雰囲気が漂いだしたのだ。目の前に座っていたサラリーマンと隣にいた主婦らしき人が(恐らく赤の他人同士)事故の状況について意気揚々と話し出す。聞こえてくる人々のざわめきも親しげで、きっと何か手伝うことができれば、みんな喜んで手を貸すようなそんな善意あふれる感じだった。おぞましい惨事の周辺にいる人々は驚愕し、高揚し、そして一体化する。人身事故を前にして、人々が繋がったのだ。それは実に不思議な光景だった。そして、正直に言おう。自分もちょっとわくわくしていた。
…しかしそんな親しげな雰囲気も列車が止まっている間だけだった。事故処理が終わり、結局全員車両を降ろされ、次の駅まで歩いて行くことになるのだが、その頃には既に打ち解けた感じは消えて無くなり、人々はまた以前の赤の他人へと戻っていた。
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JR浦和駅を降りて「大久保浄水場」行きのバスに乗り、「道場(どうじょう)」で下車する。するとそこから歩いて10分程のところに、見上げんばかりの巨大な電波塔がそびえ立っている。正式名称をNHK平野原送信所(ひらのはらそうしんじょ)と呼ぶが、その形状がロケットに似ていることから、密かに“ロケットタワー”などと呼ばれていたりもする。埼玉全域にわたってFM放送やテレビ埼玉の電波を送っているこの塔は、全長173mもの巨体を田園風景の只中に晒し、遥か遠くからでもその容姿を誇示してやまない。
このロケットタワーを見上げる度にいつも思うことがある。
あの巨大な塔が、いつか強風に煽られて、倒れてくれないかと。
幸い周りは田んぼだらけだ。うまく倒れれば人的被害は無い。
だから切に願う。
轟音を立てつつ、倒壊するその瞬間を。
そして、倒れた塔の瓦礫の周りに皆で集まり、
その惨事の前で一つになろう。
平時にはついぞ成し得ることの無い濃密な空間の輪の中で。
それはさぞかし素晴らしいに違いないと、夢想しつつ、今日もまたあの電波塔を見上げるのだ。
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プロフィール
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性別:
男性
自己紹介:
★座右の銘
どんな愚行や自傷行為も、面白ければすべてよし
★本ブログのモチーフ
システムの中にいるものは決してシステムそのものを変革することはできない。システムとは、システムの内外を隔てる境界の存在のことであり、変革とは境界の外から内部を指し示す恣意的行為である。
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