かつて梶井基次郎は自らの短編でこんなことを書いている。
“桜の樹の下には屍体が埋まっている!”
この短編の趣旨はこうだ。桜などの美しいものが盛りを迎えるとき、その周囲には一種神秘的な雰囲気を撒き散らすものだが、その裏にはきっと何かグロテスクなものが潜んでいて、その美しさを醸し出させているに違いない。そう思うことでやっと自分は心の安寧を得るのだ、と。
自らが持つ劣等感ゆえに、美しいものをそのまま美しいと受け入れることが出来ない。何か抵抗があるので、そこに死体という薄気味悪いものを対峙させてみる。そこで初めて美しいものを享受可能なものにすることが出来るのだよ、という屈折した心情のお話だ。
空想ではあるが、ちょっと神秘的でもあり、どぎつくもあるこの話は何か人を惹きつけるものがある。実際梶井は二回もこう書いている。
“これは信じていいことだ!” と。
当然信じることにした。
そこで、実際に穴を掘って確かめてみようと、桜がいっぱい咲いていて、死体が埋まっていそうな場所に行くことにした。まずは穴を掘るためのスコップが必要かなと思い、最寄のディスカウントストアに寄って購入する。今からこのスコップを使って何をしようとしているかなど、店員はよもや知るまい。そんなことを考えて一人でほくそ笑みつつ、なんとなく目星をつけておいた、ちょっとした運動公園みたいなところに行ってみた。
案の定満開だった。桜が咲き誇りあたり一面が華やいで、本当に神秘的な雰囲気を醸し出している。死体が埋まっているとしたらここだ、間違いない。人も思ったほど多くなく、密かに穴を掘るにはもってこいの場所だった。
そこで、せっかく来たことだし、とりあえず本当に花見はしておこうと思って、さっきスコップと一緒に買っておいた梅酒を取り出す。花見には梅酒、これは定説である。そんなわけで、梅酒なぞをちびちびやりつつ、この広大な公園を散策してみる。
名前さえ知らない綺麗な白い花。餌をばら撒きすぎて鳩にまみれる男。梅酒の匂いにつられて寄ってくるリス。これらのなんでもない一つ一つの風景が、桜の神秘的力を借りて何か特別なものに変容し、人を魅了する。桜の魔力とはよく言ったもので、すっかり魅せられていた。
ちょっとしたほろ酔い気分で、危うく当初の計画を忘れるところではあったが、一本、いい感じの大きな桜の木を見つけたので、人に見つからないようこっそり掘り始める…が。
なんだか急速にどうでもよくなってきた。別に死体などなくても、すでに桜の神秘性は存分に堪能したことだし、もういいではないか。そう、確かに桜の木の下には何かがある。それがわかっただけで十分だ。
掘った穴には梅酒に入っていた梅の実の種を植え、そっと埋めて帰ることにした。きっといつか、あの桜の木の下から場違いな梅が芽を出すに違いないなどと想像しつつ。そんな、ある麗らかな春の昼下がりのことだった。
帰る途中、菜の花畑を見た。それは遠目に黄色く光り輝き、妖しい雰囲気を醸し出している。
…あそこにも埋まっているに違いない。きっとあそこにも埋まっているに違いないと、密かに思いつつ、しばらくそこに釘付けになり、そしてまた帰路につくのだった。
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★本ブログのモチーフ
システムの中にいるものは決してシステムそのものを変革することはできない。システムとは、システムの内外を隔てる境界の存在のことであり、変革とは境界の外から内部を指し示す恣意的行為である。