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  <title>シイタケに肉を詰める行為</title>
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  <description>システム内存在の不可能性の認識、及び全体性の恣意的生成の可能性について</description>
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    <title>アボカドを好きになる方法</title>
    <description>
    <![CDATA[アボカドを知っているだろうか？アボカドとはメキシコ原産の、クスノキ科の高木になる果実のことで、栄養価が高いことから別名｢森のバター｣とも呼ばれていたりする木の実だ。<br />
最近では結構スーパーでも売られているし、寿司のネタにもなっているので、一度くらいは食べたことがある人も多いに違いない。<br />
<br />
だがこのアボカド、好きな人は好きだが、嫌いな人も結構多かったりする。なんだか青臭くて駄目だというのが大方の意見だ。もっともである。<br />
かくいう自分も、当初このアボカドを好きになれないでいた。理由は簡単、アボカドは以前スーパーの果物売り場に置いてあったからだ。いや、ひょっとすると今でもリンゴやオレンジの隣に置いてあるかもしれない。<br />
<br />
<a target="_blank" href="//system626.blog.shinobi.jp/File/avocado_2.jpg"><img border="0" align="bottom" alt="avocado_2.jpg" src="//system626.blog.shinobi.jp/Img/1256218664/" /></a><br />
<br />
見慣れない実が果物棚に置いてあったとして、さてどんな味だろうと楽しみにしながら買って帰り、いざ食べてみたところ、あの甘味のないねっとりとした青臭い味がしたらどうだろうか。<br />
<br />
当然、なんだこれは、ということになる。<br />
<br />
勘違いしてはいけないが、別にスーパーの店員が置き間違えたのではない。アボカドは木になるので野菜ではなくれっきとした果物だ。だが当然果物として、甘い果肉を期待しながら食べてみると、ちょっとしたしっぺ返しを食らうことになる。これが他でもない、多くの人がアボカドを嫌いになる理由だ。<br />
<br />
~~ ∵ ~~ ∵ ~~ ∵ ~~ ∵ ~~ ∵ ~~ ∵ ~~ ∵ ~~<br />
<br />
人は&ldquo;初めて見る物&rdquo;、&ldquo;初めて会う人&rdquo;を前にした時、その対象に関して心の中で&ldquo;きっとこういうものではないか？&rdquo;といった予期をもって対峙するものだ。予想通りであればよし、予想を大きく外れれば、大抵は驚きや嫌悪といった感情を抱くことになる。<br />
こういった予期は意識的になされることもあるが、大抵は無意識だ。そして無意識であるがゆえに、このような驚きや嫌悪感は、己に原因を帰せられることなく、あくまで悪いのは対象の方であると結論付けられる。<br />
<br />
もちろん何かに対して嫌悪感を抱くのを否定しているのではない。問題なのは無意識的になされた予期が無意識であるがゆえに顧みられることがないということだ。<br />
<br />
当然のことだが、世界は人の思い通りには回ってはいない。世界がそうであるのは端的にそうであるというだけのことで、その世界に対し価値を付随していくのはあくまで個々人の恣意性にすぎない。<br />
<br />
ゆえに無意識に抱いてしまう物事に対しての前提や先入観の存在に気付けるかどうかということは極めて重要なことだ。その人の成熟度が知れるといっても過言ではない。<br />
なぜなら何かを嫌いだと宣言することはあまりに簡単だからだ。気の赴くまま、感情の赴くままに無責任に喚き散らせばいい。ただそれだけのことだ。<br />
<br />
だが少し待ってほしい。<br />
<br />
何かに対してふと嫌悪感を抱いた時、ちょっと踏みとどまって、なぜ嫌いなのかを考えてみて欲しい。大抵はこの無意識になされる予期からの乖離が原因であることがほとんどだから。<br />
<br />
~~ ∵ ~~ ∵ ~~ ∵ ~~ ∵ ~~ ∵ ~~ ∵ ~~ ∵ ~~<br />
<br />
アボカドは、実は果物というよりむしろ野菜なのではないか？果物という前提をかなぐり捨てて、野菜として食べてみてはどうか？<br />
<br />
ちょっとしたきっかけで思い直し、サラダとしてアボカドをトマトやレタスと一緒にマヨネーズをかけて食べてみたところ、その美味しいこと美味しいこと！！普通の野菜にはない淡白な舌触りはサラダにとって非常にいい感じのアクセントになっている。これは実にいい感じだ。<br />
そんなわけで最近ではすっかりハマって、安く売っていたりするとつい買いだめとかして食べるようになった。ちょっとした視点の変更で、物事は良くも悪くもなるんだなということを思い知らされる出来事だった。<br />
<br />
<br />
~~ ∵ ~~ ∵ ~~ ∵ ~~ ∵ ~~ ∵ ~~ ∵ ~~ ∵ ~~<br />
<br />
先日たまたまネットを徘徊していたところ、とある掲示板でアボカドのレシピを紹介しているスレッドを見つけた。サラダに和えたりサンドイッチに挟んだりと、さまざまな食べ方を紹介していたのだが、その中に冗談半分こんな事を書いている人がいた。なんとアボカドに蜂蜜をかけて食べるというのである。アボカドに蜂蜜とは！何かデザートか何かと勘違いしているのだろうか？<br />
<br />
気持ち悪い！<br />
実に気持ち悪い！！]]>
    </description>
    <category>日記・コラム</category>
    <link>https://system626.blog.shinobi.jp/%E6%97%A5%E8%A8%98%E3%83%BB%E3%82%B3%E3%83%A9%E3%83%A0/%E3%82%A2%E3%83%9C%E3%82%AB%E3%83%89%E3%82%92%E5%A5%BD%E3%81%8D%E3%81%AB%E3%81%AA%E3%82%8B%E6%96%B9%E6%B3%95</link>
    <pubDate>Thu, 22 Oct 2009 13:01:53 GMT</pubDate>
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    <item>
    <title>散弾銃のある風景</title>
    <description>
    <![CDATA[先日、携帯に配信されてくるニュースを見ていると、こんな奇妙な事件が目に留まった。<br />
<br />

<blockquote><a href="//system626.blog.shinobi.jp/File/1218029650.jpg" target="_blank"><img alt="" src="//system626.blog.shinobi.jp/Img/1233384446/" border="0" /></a><br />
<br />
埼玉県警行田署は、行田市須加の利根川右岸の土手で、散弾銃やライフルの弾など計633個が見つかったと発表した。何者かが捨てた可能性が高いとみて火薬類取締法違反（不適正処理）容疑で捜査している。<br />
<br />
調べでは、土手を除草していた男性作業員（44）が弾を発見、同署に通報した。署員が付近を検索し、約15メートル四方にわたって、クレー射撃か狩猟用の散弾銃の弾296個、狩猟用のライフルの弾292個、薬きょう45個が見つかった。ライフルの弾は数種類あり、ケース（高さ25センチ、幅14 センチ、横35センチ）に入っているのもあった。</blockquote>
<br />
<br />
想像してみて欲しい。川原の河川敷に突如として現れる散弾銃を。行田市といえば古墳などが発掘されたことで有名な、のどかで広大な田園都市である。しかし別に狩猟が出来るような奥深い森林があるわけでもなく、田畑に舞う野鳥を打ち落とすハンターがいるわけでもない。特に理由が分からないままに、突如として発見された殺傷武器。しかも記事によると薬きょうが見つかったとある。つまり実際に弾が発射されたということだ。人通りが少ないとはいえ、仮にも都市部である。何者かが散弾銃を乱射し、そしてそれを打ち捨てていく場所とはいったいどんな場所なのか、もしくはどんな雰囲気を漂わせるのか。これは興味深くはないだろうか？聞くのと実際に見てみるのとでは大違いだろうし、それに行田市といえば家からそう遠くない場所だ。こんなチャンスは滅多にない。好奇心と野次馬根性の赴くまま、実際に行って確かめてみることにした。プチ&ldquo;スタンドバイミー&rdquo;ごっこである。<br />
<br />
<br />
よく晴れた土曜日。いくつかの電車を乗り継ぎ、いかにも地方都市にありそうな古びたローカル電車に乗る頃には、辺りはすっかり辺鄙な田園風景へと様相を変える。事件のあったと思しき最寄り駅で下車し、プラットフォームに降り立つと、人気の全くない駅に一人ぽつんと取り残される。時間はすでに昼の十二時を過ぎていた。携帯を取り出し、Googleマップで現在地を確認する。地図で見る限りなんとか歩いて行ける距離だろうと高をくくり、漠然と北を目指して歩き始めた。<br />
<br />
<a href="//system626.blog.shinobi.jp/File/1218273591.jpg" target="_blank"><img alt="" src="//system626.blog.shinobi.jp/Img/1233384732/" border="0" /></a><br />
<br />
寂寞とした町並み、たたずまいとでも言おうか。20分くらい歩いてみたが、まず何より人に出会わない。駅構内にも駅前通りにも誰一人いない。そして辺り一面見渡す限りの畑。はるか遠方から耕うん機のモーター音が聞こえて来るが、それが一層この場所の人の不在を強調してなんとなく薄ら寒く感じる。時々思い出したように、何台か車が路地を通り過ぎていく。確かに人はいるのだ。しかし全然通行人に出会わないのと、見知らぬ土地を歩いているのとが重なり、すっかり人間社会から隔離されてしまった感が襲ってくる。人がいるはずなのにどこにもいない。勝手に人の家に上がりこんだけど、誰もいなくて逆に落ち着かない。そんな感じだ。<br />
<br />
見渡す限りの澄み渡る秋空、どこまでも続く美しい黄金色の稲穂。もう一時間ぐらい歩いただろうか。風光明媚な景色の只中にあって、徐々に時間の感覚が麻痺して行く。自分は今どこにいて、そしてなぜここを歩いているのか。そんなことが段々と曖昧になっていく。もしかしたらこのまま迷子になって帰れなくなってしまうんじゃないのか？もしくは不審者と間違われて銃を捨てた犯人にされてしまうとか？そんな意味不明な妄想が頻繁に頭をよぎるようになる。なにやら禁断症状めいた感じが襲ってきたので慌ててiPodを取り出し、音楽で何とか気を紛らわせる。<br />
そういえば、洗脳における第一歩は外界からの情報を遮断することからだと聞いたことがある。何一つ見知ったもののない場所をよくわからないままに歩くことは、まさに情報遮断に等しい。世界への実感が薄まり、軽い変性意識状態にあるときに、幻聴のようなものが聞こえてはこないのだろうか。例えば銃声とか&hellip;<br />
<br />
#＝#＝#＝#＝#＝#＝#＝#＝#＝#＝#＝#＝#＝#＝#＝#＝#<br />
<br />
<a href="//system626.blog.shinobi.jp/File/tonegawa.jpg" target="_blank"><img alt="" src="//system626.blog.shinobi.jp/Img/1233490236/" border="0" /></a><br />
<br />
雑念を振り払いつつ、ただひたすらに歩き続けていると、本当にどれくらい歩いただろう、ふと突然河川敷の土手らしきものが目に入る。<br />
<br />
あ、あれは！<br />
<br />
意気揚々と駆け寄り、きちんと雑草が刈り込まれた土手を一目散に登り詰めると、そこには悠々と流れる利根川の流れが眼前いっぱいに広がっていた。川原の傍には車が何台か駐車され、人の姿もちらほらと見受けられる。釣りでもやっているのだろうか？その周囲には赤や黄色のコスモスが咲き乱れ、美しい秋の様相を呈している。やっと人里にたどり着いた旅人よろしく、安堵が全身に広がる。そしてなぜだかこの時、ふと思ったのだ。<br />
<br />
ここだ。この安住の地にこそ、混沌とした人間の妄想やら雑念やらのはけ口がある。だからこそ散弾銃はこの場所に打ち捨てられたのだ。なんだか一人妙に納得し、晴れ晴れとした気分で川原の景色をただじっと、いつまでもいつまでも眺めているのだった。<br />
<br />
<a href="//system626.blog.shinobi.jp/File/cosmos.jpg" target="_blank"><img alt="" src="//system626.blog.shinobi.jp/Img/1233490237/" border="0" /></a><br />
<br />
厂厂厂厂厂厂厂厂厂厂厂厂厂厂厂厂厂厂厂厂厂厂厂厂厂厂<br />
<br />
帰り道。キンモクセイの香りにつられ、ふらりと立ち寄った風車のある公園の中をぶらぶらと散策しつつ、今日の出来事について振り返ってみる。思えば今無事にここにいられるのも、携帯の地図やらiPodといった文明の利器によるところが大きいなと思う。いや、まずそもそもこんな見知らぬ場所を歩いていること自体、携帯に配信されたニュースを見たのがきっかけだったではないか。そう思うとなんだか不思議な気もする。自分の発想、自由意志。それらを可能にするのは結局のところ、自分の計り知らない所で整備された社会システムのおかげなのだ。これはそもそも自由意志なのか？要するに全ては想定の範囲内での冒険ごっこでしかないのではないか。<br />
そこで、まあ別にどうでもいいことではあるけど、ほんの少しだけそれに逆らってみることにした。iPodをしまい、携帯の電源を切って、漠然と南の方角へと歩き始める。確かこっちの方角には来たのとは違う別の駅があったはずだ。気の向くまま行ってみることにした。相変わらずどこまでも続く田園風景の只中を。<br />
<br />
<br />
<br />
ふと立ち止まり、じっと耳を澄ませる。どこからともなく散弾銃の銃声が聞こえて来やしないかと、遥か遠くの方まで聞き耳を立ててみる。だが結局のところ何も聞こえず、少し暗くなりかけた歩道の上でただ一人、ぽつんと取り残されるのみだった。]]>
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    <category>日記・コラム</category>
    <link>https://system626.blog.shinobi.jp/%E6%97%A5%E8%A8%98%E3%83%BB%E3%82%B3%E3%83%A9%E3%83%A0/%E6%95%A3%E5%BC%BE%E9%8A%83%E3%81%AE%E3%81%82%E3%82%8B%E9%A2%A8%E6%99%AF</link>
    <pubDate>Sat, 20 Oct 2007 00:12:32 GMT</pubDate>
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    <item>
    <title>大仏ハイ</title>
    <description>
    <![CDATA[<a href="//system626.blog.shinobi.jp/File/joubansen.jpg" target="_blank"><img border="0" align="bottom" src="//system626.blog.shinobi.jp/Img/1256705729/" alt="joubansen.jpg" /></a><br />
<br />
茨城県取手市にある某ホテル7階の渡り廊下の窓から、千葉県の方角を眺めてみる。利根川に架かる常磐線の鉄橋が8月の熱気にゆらゆらと揺れて歪んで見えた。紫外線は容赦なく降り注ぎ、目の奥に鈍い痛みを残す。その体感的かつ視覚的熱気に思わずその場にへたり込みそうになる。これはまずい。早々にその場を離れると、急ぎ自室に舞い戻ってエアコンをガンガンに利かせ、ベッドに飛び込んで目を閉じる。<br />
<br />
特に観光地としてのイメージがあまり無い茨城県にやってきたのは他でもない。どうも茨城県牛久市というところに世界最大の大仏があるという話を小耳に挟んだためだ。調べによるとその大仏、全長が120メートルもあるらしい。その話を聞いてまず初めに思ったのが、そもそも何でそんな巨大な像を造ってしまったのかという純粋な疑問だ。全国各地の観光地には確かに、20メートル程度の仏像やら観音像があるのは知っている。それとて人々の耳目を引くには十分な大きさだろう。だが120メートルともなれば話は別だ。どだい大きすぎる。純粋に客寄せのために造るにはあまりに大袈裟だ。<br />
<br />
信仰心？まさか。きっと、そんな過剰なものを造ってしまうような何かが現地にはあるに違いないのだ。巨大大仏建立の裏に隠された秘密、もしくは秘められた思い、それを探りに行こうではないか。そう考えたのがそもそもの始まりだ。<br />
日帰りで行けないこともないが、折角なので泊まりがけで行くことにした。検索した結果、牛久周辺に手ごろな宿泊施設がなかったため、近くにある取手市というところで一泊し、翌日牛久へ行くことに決めた。うだるように暑いお盆休みの最中であった。<br />
<br />
8月13日、午後1時、牛久駅に降り立つ。気温35度。めまいのする暑さだ。大仏行きのバスを待つ間、周りの人々を観察してみる。やはりというかなんというか、老人が多い。観光というよりは、むしろ巡礼感覚なのだろうか。まあ確かに、大きいというただその一点で実際何かしらありがたそうではある。一度でも見ておけばきっと何らかのご利益があるに違いない。何に効くかは知らないけど。などと考えているうちにバスがやって来たので、そそくさと乗り込む。ほんのり冷えたバスの中でお茶を飲みつつぼんやり外を眺めていると、バスは程無くして大仏へ向けて発車した。 <br />
<br />
<a target="_blank" href="//system626.blog.shinobi.jp/File/ushidai.jpg"><img border="0" align="absMiddle" alt="ushidai.jpg" src="//system626.blog.shinobi.jp/Img/1256714636/" /></a><br />
<br />
だいたい20分ぐらい過ぎたころだろうか。そろそろ何か見えてくるんじゃないかと窓の外を気にしていると、ふとバスの反対側の方から誰かの歓声にも似た声が聞こえてくる。そちらの方に目を向けてみると、それは唐突に視界に飛び込んできた。遠方に巨人がそびえたっている。それも、ものすごい大きさだ。周りに遮るものが何もないことがより一層その大きさを強調させ、その異様な様を周りに誇示している。これはすごい。&hellip;しかし何と言ったらいいだろう、すごく笑えるのだ。それは畏怖の対象というよりはむしろ、面白おかしい巨大アトラクションのようであり、実際あれを見上げる人々の表情も一様に苦笑混じりである。&ldquo;大仏&rdquo;が&ldquo;デカイ&rdquo;という二つの要素が入り混じることによりある種の滑稽さを醸し出していて、そのことがとてつもなくおかしいのだ。    <br />
<br />
<a target="_blank" href="//system626.blog.shinobi.jp/File/ushidai2.jpg"><img border="0" align="absMiddle" alt="ushidai2.jpg" src="//system626.blog.shinobi.jp/Img/1256714021/" /></a><br />
<br />
バスが目的地にたどり着く。人々は一斉にあの巨大像へ向けて歩き出す。片時も目をそらすことなく大仏に向かって歩きながら、ふとあることを思い出す。社会心理学の話なのだが、何かが人々の注目を集める時、それが濃密であればあるほど、奇妙なことにその周辺にいる人々はお互いの連帯を強めることがあるという。たとえばカリスマと呼ばれる者が停滞した社会に現れると、一気に活性化して、ばらばらであった社会に統制が見られることがあるという。安直な例だがヒトラーなどがそうだ。そしてここで重要なのは、カリスマが&ldquo;何をしたか&rdquo;ということではなく、&ldquo;どんな佇まいであるのか&rdquo;という点にある。カリスマのスゴさというのは、その行為に帰せられるのではなく、その存在自体によって決まる。ただそこにいるだけで他者を圧倒する存在、それが本来の意味でのカリスマだ。そう、例えばあの大仏のように。<br />
<br />
近隣住民はきっと毎日毎日あの大仏を意識的にしろ無意識的にしろ注目していることだろう。するとどうなるか。おそらく大仏を中心とした周囲一帯に一種の連帯感が形成されているのではないだろうか。大仏が引き起こす変性意識、つまり大仏ハイによってみんなが繋がり、包摂される。なるほど、巨大なものを造るということの意味とか意義というのは多分そんなところにあるに違いない。実際に来て確かめてみてよく分かった。<br />
<br />
<a target="_blank" href="//system626.blog.shinobi.jp/File/daibutu4.jpg"><img border="0" align="absBottom" alt="daibutu4.jpg" src="//system626.blog.shinobi.jp/Img/1261100147/" /></a><br />
<br />
暑い。うだるような暑さだ。裸眼で大仏を見上げているせいか、紫外線で目の奥がジンジンとしてくる。入口から大仏へと続く道に、日陰となるようなものは一切なく、直射日光をじかに浴びながら歩いていると段々と暑さで意識が朦朧としてくる。するとどうだろう。なんだかあの大仏が神々しく思えてきて、後光すら射しているような感じがしてくるではないか。くらくらする頭で、これは単に暑さのせいなのか、いやひょっとすると本当にあの大仏の威光にやられてしまったのか、などと冗談半分考えてみる。あながち冗談ではないのかもしれないと思い、ふと大仏を見上げてみると、そこにはあの笑いの対象であったはずの大仏が威厳をもって堂々と微動だにせず、ただひたすら無表情に虚空を見つめて立っているのだった。]]>
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    <category>旅行・地域</category>
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    <pubDate>Tue, 28 Aug 2007 18:30:40 GMT</pubDate>
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    <item>
    <title>あのロケットタワーが倒れるとき</title>
    <description>
    <![CDATA[先日何気なくテレビを見ているとちょっと面白い話に出くわした。視聴者が撮った写真に偶然写っていたUFOらしき物体が本物かどうかを検証する内容で、結論としてそれは何かの光が反射してたまたま写りこんだ影である、という専門家の話で決着がつくのだが、その話を受けてパーソナリティーがこんな話を始めた。「自分もかつて仲間と一緒にいるとき、何か不可思議な黒い浮遊物を見たことがあった。騒ぎになってあれが何かを調べさせたところ、後になってそれはどこかの観測所の測量機であることが判明した。しかしその得体の知れない飛行物体を見ていたほんの数十分の間中、我々はとても幸せだった。」のだと。<br />
<br />
UFOの真偽のほどはさておき、そういった得体の知れないものや想定外の出来事（災害等）を前にして、えも言われぬ高揚感に包まれるのは何も珍しいことではない。恒常的日常性の前に、突如として現れる&ldquo;規定外&rdquo;の事象は、自分の立ち居地を揺るがし、確固とした現実を無力化させる。それは非現実を馴致させる契機を与え、人を高揚させるのだ。医学的には一種の精神麻薬のようなものといわれているが、例えば日本で起こった幾つかの災害や、例のアメリカ同時多発テロ事件などの事後レポートなどに目を通してみると、こういった奇妙な&ldquo;多幸感&rdquo;が人々の間に訪れたという記載を見ることができる。<br />
<br />

<blockquote>&ldquo;あの震災の最中、我々は奇妙な一体感と高揚感に包まれていた&rdquo;<br />
<br />
&ldquo;瓦礫の山を前にして、一時的にせよ高揚感ですっかり感覚が麻痺していた&rdquo;</blockquote>
<br />
<br />
そういえば自分にも昔こんな体験がある。学校からの帰り道に、乗っていた電車が突然何の前触れも無く緊急停止したことがあった。だがそんなことは別段珍しいことではなく、きっとどこかの駅で線路内に人が立ち入ったとか、もしくは信号機の故障だとか、多分そんなことだろうと思ってさして気にも留めずにいた。しかし何の説明も無く10分が経ち、15分が過ぎる頃、さすがにこれは何かおかしいのではと思い始めたその時、車内にこんなアナウンスが流れた。<br />
<br />
「ただ今この列車にて人身事故が発生いたしました。現在確認作業をいたしておりますので今しばらくお待ちください。」<br />
一瞬の静寂の後、車内がいっせいにざわめきだす。この列車が人を轢いてしまったのだ。今この車両の下に人一人、おそらく無残な轢死体となってあちこちに散らばっているのかと思うと、なんともいえない不快感が襲ってきて落ち着かなくなる。そしてそんな不安感をさらに煽るアナウンスがしばらく後に続いた。<br />
<br />
「今現在、車輪に挟まっております人の撤去作業を致しております。今しばらくお待ちください。」<br />
<br />
その時奇妙なことが起こった。車両内に形状しがたい一体感が生まれ、人々の間に打ち解けた雰囲気が漂いだしたのだ。目の前に座っていたサラリーマンと隣にいた主婦らしき人が（恐らく赤の他人同士）事故の状況について意気揚々と話し出す。聞こえてくる人々のざわめきも親しげで、きっと何か手伝うことができれば、みんな喜んで手を貸すようなそんな善意あふれる感じだった。おぞましい惨事の周辺にいる人々は驚愕し、高揚し、そして一体化する。人身事故を前にして、人々が繋がったのだ。それは実に不思議な光景だった。そして、正直に言おう。自分もちょっとわくわくしていた。<br />
<br />
&hellip;しかしそんな親しげな雰囲気も列車が止まっている間だけだった。事故処理が終わり、結局全員車両を降ろされ、次の駅まで歩いて行くことになるのだが、その頃には既に打ち解けた感じは消えて無くなり、人々はまた以前の赤の他人へと戻っていた。<br />
<br />
<br />
★&infin;◎&infin;☆&infin;◎&infin;★&infin;◎&infin;☆&infin;◎&infin;★&infin;◎&infin;☆&infin;◎★&infin;◎<br />
<br />
<a href="//system626.blog.shinobi.jp/File/1218027755.jpg" target="_blank"><img alt="" src="//system626.blog.shinobi.jp/Img/1233404130/" border="0" /></a><br />
<br />
JR浦和駅を降りて「大久保浄水場」行きのバスに乗り、「道場（どうじょう）」で下車する。するとそこから歩いて10分程のところに、見上げんばかりの巨大な電波塔がそびえ立っている。正式名称をNHK平野原送信所（ひらのはらそうしんじょ）と呼ぶが、その形状がロケットに似ていることから、密かに&ldquo;ロケットタワー&rdquo;などと呼ばれていたりもする。埼玉全域にわたってFM放送やテレビ埼玉の電波を送っているこの塔は、全長173mもの巨体を田園風景の只中に晒し、遥か遠くからでもその容姿を誇示してやまない。<br />
<br />
<a href="//system626.blog.shinobi.jp/File/1218027977.jpg" target="_blank"><img alt="" src="//system626.blog.shinobi.jp/Img/1233404131/" border="0" /></a><br />
<br />
このロケットタワーを見上げる度にいつも思うことがある。<br />
あの巨大な塔が、いつか強風に煽られて、倒れてくれないかと。<br />
幸い周りは田んぼだらけだ。うまく倒れれば人的被害は無い。<br />
だから切に願う。<br />
轟音を立てつつ、倒壊するその瞬間を。<br />
そして、倒れた塔の瓦礫の周りに皆で集まり、<br />
その惨事の前で一つになろう。<br />
平時にはついぞ成し得ることの無い濃密な空間の輪の中で。<br />
<br />
<a href="//system626.blog.shinobi.jp/File/1218028325.jpg" target="_blank"><img alt="" src="//system626.blog.shinobi.jp/Img/1233404132/" border="0" /></a><br />
<br />
それはさぞかし素晴らしいに違いないと、夢想しつつ、今日もまたあの電波塔を見上げるのだ。<br />
<br />
<a href="//system626.blog.shinobi.jp/File/1218028414.jpg" target="_blank"><img alt="" src="//system626.blog.shinobi.jp/Img/1233404133/" border="0" /></a>]]>
    </description>
    <category>日記・コラム</category>
    <link>https://system626.blog.shinobi.jp/%E6%97%A5%E8%A8%98%E3%83%BB%E3%82%B3%E3%83%A9%E3%83%A0/%E3%81%82%E3%81%AE%E3%83%AD%E3%82%B1%E3%83%83%E3%83%88%E3%82%BF%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%81%8C%E5%80%92%E3%82%8C%E3%82%8B%E3%81%A8%E3%81%8D</link>
    <pubDate>Thu, 07 Jun 2007 12:10:01 GMT</pubDate>
    <guid isPermaLink="false">system626.blog.shinobi.jp://entry/39</guid>
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    <item>
    <title>朝の五時に宿る</title>
    <description>
    <![CDATA[<a href="//system626.blog.shinobi.jp/File/am522.jpg" target="_blank"><img src="//system626.blog.shinobi.jp/Img/1233404351/" alt="" border="0" /></a><br />
<br />
誰もいない交差点で信号が青から赤へと変わる。どうやら止まれと言っているらしい。もちろんそんな気などさらさらなく、構わずに突っ切って渡る。車は一台も通らず、また信号無視をとがめる者もいない。ルールとは本来秩序と無秩序を分ける境界のようなものだが、それも他者あってのことだ。参加者なきシステムのルールに対する固執は、偏執的な自己満足でしかない。<br />
朝の四時四十五分。まだほんの少しだけ薄暗い街中を悠然と歩きつつ、辺り一面ぐるりと見渡してみる。もちろん人っ子一人いやしない。いわば｢関係性を欠く見慣れた場所｣、もしくは｢切り離された空間｣を悠長に彷徨い歩く、そんな感じだ。間違いない。意味もなくそんなことをする奴は確実に頭がおかしい。どうかしている。主観的に見ても客観的に見ても夢遊病者以外の何物でもない。しかし、こんなことをして楽しいのかと問われれば、正直ちょっとだけ楽しい。<br />
<br />
ちょっとしたお遊びだ。特に意味も無く、朝散歩したら楽しいかな、休みだし普段できないことを満喫してみようかな、という思いつきのもと、&ldquo;早起き計画&rdquo;を立てたのがゴールデンウィークの真っ只中だ。ところが目覚まし無しで目覚めてみると、なんと朝の四時半ではないか。これにはちょっと戸惑う。これはいくらなんでも早すぎだ。そんな朝早くに出歩いてる人間は老人か新聞配達か挙動不審者ぐらいだ。しょうがない、二度寝しようと思いかけたその時、ふと思いとどまる。&hellip;いや、待てよ。むしろ、この早すぎと言う過剰さは、時間的非日常という意味においてこの&ldquo;早起き計画&rdquo;にぴったりではないのか。場所が同じでも時間が違えばそれは普段とは別のものになる。そう考えると何だか急に面白くなってきて、ついノリと勢いに任せて家を飛び出したのが起きてから十五分後のことだ。<br />
<br />
朝。そのくせまだどことなく薄暗く、すずめの鳴き声だけがやけにやかましい早朝。<br />
<br />
ぼんやりとコンビニの光が浮かび上がって見える。中を覗いてみるが客は一人もいない。いや、客どころか店員さえ見当たらないのはなぜだろう。トイレにでも行っているのか、もしくは棚の影で商品でも並べているのか、分からないまま通り過ぎる。<br />
<br />
<a href="//system626.blog.shinobi.jp/File/am511_2.jpg" target="_blank"><img src="//system626.blog.shinobi.jp/Img/1233404645/" alt="" border="0" /></a><br />
<br />
向こうから人が歩いてくる。案の定老人だ。しかしなぜだろう妙に気まずい。こちらの確信犯的おふざけ行為に対する後ろめたさとでも言おうか。もしくは早朝散歩をしていることに対する一種の共犯者意識なのか。なるべく顔を合わせずにやり過ごす。<br />
<br />
<a href="//system626.blog.shinobi.jp/File/am5312.jpg" target="_blank"><img src="//system626.blog.shinobi.jp/Img/1233404432/" alt="" border="0" /></a><br />
<br />
五時。さいたまスーパーアリーナに来てみた。普段人で賑わう場所ほど、無人の時とのギャップがあって不思議な感じがする。たった数時間違うだけなのにちょっとした別世界だ。<br />
<br />
<a href="//system626.blog.shinobi.jp/File/am56_2.jpg" target="_blank"><img src="//system626.blog.shinobi.jp/Img/1233404474/" alt="" border="0" /></a><br />
<br />
普段気にも留めないオブジェがやたらと目に入る。薄明かりの中で、人の目に晒されることなくただひっそりと佇むその姿は、どこか怪しげな光を放ち、露骨なまでにその存在感を剥き出しにしている。そこには普段見えることのない何かが宿り、華やいでいるような、そんな感じがした。<br />
<br />
<a href="//system626.blog.shinobi.jp/File/am59_1.jpg" target="_blank"><img src="//system626.blog.shinobi.jp/Img/1233404434/" alt="" border="0" /></a><br />
<br />
<a href="//system626.blog.shinobi.jp/File/am532_4.jpg" target="_blank"><img src="//system626.blog.shinobi.jp/Img/1233404473/" alt="" border="0" /></a><br />
<br />
<a href="//system626.blog.shinobi.jp/File/am56_2.jpg" target="_blank"><img src="//system626.blog.shinobi.jp/Img/1233404474/" alt="" border="0" /></a><br />
<br />
<a href="//system626.blog.shinobi.jp/File/am510_2.jpg" target="_blank"><img src="//system626.blog.shinobi.jp/Img/1233404475/" alt="" border="0" /></a><br />
<br />
<a href="//system626.blog.shinobi.jp/File/am58_2.jpg" target="_blank"><img src="//system626.blog.shinobi.jp/Img/1233404517/" alt="" border="0" /></a><br />
<br />
<a href="//system626.blog.shinobi.jp/File/am511_3.jpg" target="_blank"><img src="//system626.blog.shinobi.jp/Img/1233404518/" alt="" border="0" /></a><br />
<br />
しかしそんな特別な時間も、ゆっくりと、ゆっくりと終わりを告げていく。曖昧さ漂う夜の匂いは徐々に消えてゆき、すべてのものがはっきりとした輪郭を持つ明るくて眩しい世界へと移行していく。宿っていたものは消えて無くなり、ただ物質だけが眼前に取り残されていくのを見た。その光景はどこか寂しげでもあり、また逆に、安堵に包まれていたりもするのだった。<br />
<br />
<a href="//system626.blog.shinobi.jp/File/am513_3.jpg" target="_blank"><img src="//system626.blog.shinobi.jp/Img/1233404519/" alt="" border="0" /></a><br />
<br />
東の空から昇る日の光が全てを銀色で覆い尽くし、新たな一日を始めようとしていた。]]>
    </description>
    <category>日記・コラム</category>
    <link>https://system626.blog.shinobi.jp/%E6%97%A5%E8%A8%98%E3%83%BB%E3%82%B3%E3%83%A9%E3%83%A0/%E6%9C%9D%E3%81%AE%E4%BA%94%E6%99%82%E3%81%AB%E5%AE%BF%E3%82%8B</link>
    <pubDate>Tue, 08 May 2007 13:15:00 GMT</pubDate>
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  </item>
    <item>
    <title>ハイエナのルール</title>
    <description>
    <![CDATA[<a href="//system626.blog.shinobi.jp/File/omyentrance_1.jpg" target="_blank"><img src="//system626.blog.shinobi.jp/Img/1233383504/" border="0" alt="" /></a><br />
<br />
埼玉県さいたま市大宮区にある広大な大宮公園の片隅に、この公園の大きさとは比較にならないほどちっぽけな動物園がある。その名も&ldquo;<a target="_blank" href="http://www.parks.or.jp/omiyazoo/">大宮公園小動物園</a>&rdquo;。その名に違わぬ小ささで、じっくり見て回ったとしてもほんの数十分もあれば一回りできてしまうような、そんな動物園だ。もちろん入場無料である。だからきっとその運営費は、鳥小屋の一番奥に飼われている烏骨鶏の卵を売ってまかなわれているに違いないなどと密かに勘ぐってみたりもするが、もちろんそんなのは余計なお世話だ。そして当然といえば当然だが、華のある動物など期待すべくもなく、いるのはサルやらタヌキやらクマやらで、せいぜいピンクフラミンゴが間近で見られるのが良い所といえば良い所だ。<br />
<br />
<a href="//system626.blog.shinobi.jp/File/pflamingo_1.jpg" target="_blank"><img src="//system626.blog.shinobi.jp/Img/1233383695/" border="0" alt="" /></a><br />
<br />
だがしかし、こんな小さな動物園の、またさらに片隅に位置する檻の中に、実はこの動物園にはそぐわない珍しい動物を見ることができる。ハイエナだ。正式名称を<a target="_blank" href="http://ja.wikipedia.org/wiki/ブチハイエナ">ブチハイエナ</a>といい、アフリカのサハラ砂漠以南のサバンナに生息するという肉食獣だ。象の骨すら噛み砕くという強靭な顎を持つこの動物は、驚くべきことに今現在日本に全部で六匹しかおらず、その内の二匹が今目の前の檻の中をせわしなく行ったり来たりしている。こんな場末の動物園にそんな珍しい動物を置いておいていいのだろうか。そんな疑問も出ないではないが、とりあえず無料で入れるのをいいことに、暇を見てはこのハイエナ目当てにしばしここを訪れて、じっと眺めてみたりする。<br />
<br />
<a href="//system626.blog.shinobi.jp/File/hayena1_1.jpg" target="_blank"><img src="//system626.blog.shinobi.jp/Img/1233383696/" border="0" alt="" /></a><br />
<br />
ハイエナのメスの外性器は、外見上オスのそれとほとんど区別がつかないことから、長らく両性具有であると信じられてきた。性がはっきりしないという迷信から、中世までのキリスト教では、神を受け入れたかはっきりしないあいまいな人間の象徴として、ハイエナが用いられたという。面白い話だ。あいまいで、かつ死肉を食らうというダーティーなイメージを持つハイエナが人間の象徴である。これは人間にとって迷惑な話なのか、はたまたハイエナにとって迷惑な話なのか。しかしそんなことはともかくとして、実際に見るハイエナはそのイメージとは裏腹に愛くるしく、そしてなにより美しい。人間を襲うこともあるというこのハイエナをしばらく眺めているうちに、なんだか不思議な気分になってくる。<br />
<br />
<a href="//system626.blog.shinobi.jp/File/haiena_2.jpg" target="_blank"><img src="//system626.blog.shinobi.jp/Img/1233383941/" border="0" alt="" /></a><br />
<br />
人間の視点から見る檻の中のハイエナ。そして檻の中から外を眺めるハイエナの視線。それらは決して交錯することなく、独立したそれぞれの世界をそれぞれのルールで生きている。そんな何物をも共有しない、別世界の獰猛な動物に愛着を感じるのは考えてみれば実に奇妙なことだ。<br />
人が人に親近感を抱くのはある意味理解可能なことである。環境や情報、言葉や感情などを共有していくうちに滲み出てくる他者に対する&ldquo;親しさ&rdquo;は極めて想像可能なことであるし、人はそれを媒体として関係性を構築していく。しかしそういったものを一切期待できないものに対しても同じように関係性を期待してしまうのはなぜなのか。<br />
<br />
<a href="//system626.blog.shinobi.jp/File/hayena2_4.jpg" target="_blank"><img src="//system626.blog.shinobi.jp/Img/1233383942/" border="0" alt="" /></a><br />
<br />
逆説的ではあるが、相手のことが一切分からないからこそそれが可能なのではないか。圧倒的な断絶を前にすれば、それに対してできることはただ想像のみだ。ハイエナが少し首を傾げれば、そこに何らかの感情的振る舞いを見出して可愛らしく感じる。横になって目を閉じれば、そこに穏やかさを見出して微笑ましく思う。相手が猛獣だということも忘れて。もちろんハイエナの方は、そんなこちらの思惑など知る由もなく、もし檻から放たれたなら何の躊躇いもなく飛びついてきて、骨まで食らい尽くすだろうに。こちらの想像上の愛情と、ハイエナの実際の獰猛さが、&ldquo;こちら&rdquo;と&ldquo;あちら&rdquo;を隔てる鉄格子を境に均衡している。そんな不思議さを垣間見るのだった。<br />
<br />
<a href="//system626.blog.shinobi.jp/File/monkey1_1.jpg" target="_blank"><img src="//system626.blog.shinobi.jp/Img/1233383943/" border="0" alt="" /></a><br />
<br />
休日のせいか、こんな小さな動物園にもそれなりの訪問者がいる。大半が親子連れで、やはりサルの檻の前では子供達が大騒ぎだ。そんなちょっとした喧騒の中にいて、ふと嫌なことに気付く。<br />
「人とハイエナ」と「人と人」。いったい何が違うというのか。相手が襲ってこようがこまいが、関係性においてやっていることは結局同じことだ。どの道、人と人の間には見えない鉄格子が存在していて、微妙に均衡を保っている。こちらの想像上の愛情やら憎悪やらを相手に投影しながら&hellip;<br />
でも、まあ、それはそれとして、子供達やサルのやかましい叫び声を聞いているうちに、結局そんなことはどうでもいいことのようにも思えてくる。今ここに感じている好ましい感情さえあれば、とりあえず何の支障もなく人と人との関係は回ってゆく。それは本来ありえないくらい奇跡的なことなのに誰もその事実に気付かないままに。<br />
<br />
そんなことを思いつつ、帰りにもう一度ハイエナを見ていこうと、そそくさと動物園の片隅にある檻へと向うのだった。]]>
    </description>
    <category>日記・コラム</category>
    <link>https://system626.blog.shinobi.jp/%E6%97%A5%E8%A8%98%E3%83%BB%E3%82%B3%E3%83%A9%E3%83%A0/%E3%83%8F%E3%82%A4%E3%82%A8%E3%83%8A%E3%81%AE%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%AB</link>
    <pubDate>Sun, 25 Mar 2007 10:46:07 GMT</pubDate>
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  </item>
    <item>
    <title>回転寿司でチョコパフェを食べる行為</title>
    <description>
    <![CDATA[<a href="//system626.blog.shinobi.jp/File/1218270582.jpg" target="_blank"><img alt="" src="//system626.blog.shinobi.jp/Img/1233400946/" border="0" /></a><br />
<br />
彩り美しく、かつ非常に瑞々しいフルーツ皿を目の前にして軽い違和感を覚えるのは、自分が場違いな場所にいるのではないかと何となく感じるからだ。もちろんここはフルーツパーラーでもなければ果物屋でもない。まごうかたなき&ldquo;かっぱ寿司&rdquo;のカウンターである。正直に言おう。毎回毎回、回転寿司に来る度に、あのベルトコンベアーの上に堂々と鎮座する一群のデザート類が気になって気になってしょうがないのだ。今日も今日とて&ldquo;かっぱ寿司&rdquo;に来てみれば、目の前をフルーツの群れが流れてゆく。寿司屋なのに。しかもあの皿、取るのに人一倍勇気が要るではないか。当然だ。ここは寿司屋であって甘味処ではないからだ。<br />
<br />
にも関わらず、なんだろう。この場違いな物に対する心惹かれる感じは。店の戦略に引っかかっているだけなのか、はたまた個人的な性（さが）なのか。それを見極めるべく、今日は、今現在ウニやイクラを差し置いて&ldquo;かっぱ寿司&rdquo;で一番高いメニューとなっている、「チョコパフェ」を食べてみようと思うのだ。しかし冷静に考えてみて欲しい。寿司屋でパフェだ。とても正気の沙汰とは思えない。これをメニューに加えた人間は間違いなくシラフではないだろう。パンがなければケーキを食べるが、スシがあればパフェなど食べない。だからこんな場違いで酔狂な行為を行うには、やはりそれなりの理由や根拠（屁理屈とも言う）が必要だと思う。そこで今回、回転寿司でパフェを食べる理由を考察してみた。<br />
<br />
。:&rsquo;* + ☆&deg;・ ‥.゜★。&deg;: ゜・ 。 *゜・:゜☆&rsquo;:★ ，* ＋゜． ☆<br />
<br />
人間の体にはホメオスタシスという機能がある。体を取り巻く環境が変わっても、それにあわせて体温調節や、血糖値調整などをして、身体にとって正常な状態を常に一定に保とうとする働きがそれだ。暑くなれば汗をかいて体温を下げ、運動すれば心臓の鼓動が早くなって体内の酸素循環を活性化させたりするのがそれにあたる。<br />
そして面白いことに、この&ldquo;一定に保とうとする&rdquo;機能は肉体的な状態にとどまらず、精神的なものにまで及ぶことがある。心理学用語で言うところの「<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/認知的不協和" target="_blank">認知的不協和</a>」がそれだ。<br />
<br />
こんなことはないだろうか。<br />
ある映画を観て、それをすごく面白かったと思う。しかし他の人にその映画の感想を聞いてみると、みんながみんなそれを駄作であると批評する。その意見を聞いているうちに自分もだんだんその映画がつまらない作品であるように思えてきて、ついには自分も否定的な意見を言うようになってしまう。自分の中のその映画に対する評価と、他人の評価が対立するという不協和に対し、意識的あるいは無意識的に自己弁明を加えて自らの認知を変え、不協和を解消しようとする心理だ。それを認知的不協和と言う。<br />
<br />
肉体的であれ精神的であれ、常に環境と一定の状態を維持しようとする機能が人には本能的に備わっている。人が社会的であるというのはその意味で無意識の精神的恒常機能のためであるともいえる。だがともすると、人は場の雰囲気に同調するあまり、&ldquo;後から考えるとなぜあんなことをしてしまったのか&rdquo;というような失態を犯すことがある。祭りの場での乱痴気騒ぎしかり、教室内でのいじめしかり、国家レベルでの民族大虐殺しかりだ。もちろん、それが良いことなのか悪いことなのか一概には言えない。だが少なくとも、自分がなぜそういう振る舞いをするのかについての客観的視点だけは備えているべきだと思う。<br />
<br />
ただ、それには練習が必要だ。いかんせん相手は本能のなせる技だ。ボケッとしていたら知らず知らずのうちに場に適した振る舞いをするようになってしまう。かといってそれに抗い、あまりに社会的に突飛な行動をとれば、有無を言わさずポリスへゴー（警察行き）だ。要するに必要なのは、その場その場で最適とされる立ち居振る舞いを正確に認識、客体化して、それとは微妙に距離を取ってずれていくという一種の奇行に他ならない。メリットとしては、不本意な同調圧力に流されなくなるというのがあるが、デメリットとして、何かに包摂されているという安心感（無責任感）を失うかもしれない。<br />
<br />
&rsquo;:★ ，* ＋゜． ☆。.: &rsquo;* :・* + ゜。.★・&rdquo;，&rsquo;:★ ，* ＋゜． ☆<br />
<br />
そうだ、これは本能的最適化への抗いであり、社会で精神的自主独立を維持するための練習なのだ。そうと分かれば話は早い。さっそくチョコパフェを食べることにした。ただこのチョコパフェ、回っているのはプレートだけで、頼むときは目の前に設置されているインターフォンをわざわざ押して注文しなければならない。正直勇気が要る。周りの客の目が気になる。額に嫌な汗が浮かぶ。そんなこんなで逡巡すること約五分。ついに意を決してボタンを押した&hellip;。<br />
<br />
<a href="//system626.blog.shinobi.jp/File/1218270632.jpg" target="_blank"><img alt="" src="//system626.blog.shinobi.jp/Img/1233401396/" border="0" /></a><br />
<br />
注文を済ませ、しばらく待っていると、店員がパフェを席まで運んでくる。ついに来た！通過儀礼としての苦難辛苦も、過ぎてしまえば後に残るのは爽やかな達成感のみだ。もちろんパフェが寿司とまったく合わないだとか、緑茶との相性が最悪だとか、そんなことはどうでもいい。ここで重要なのは、パフェが美味しいかどうかということではなく、回転寿司にてチョコパフェに手を出すという英雄的行為にある。今はむしろ周囲に誇示するかのように、誇らしげにチョコパフェにスプーンを突き刺し、クリームをすくって口に運ぶのだった。<br />
<br />
それは必要以上に甘ったるく、そしてどこか野暮ったい味がした。<!-- __entry_body_end__ -->]]>
    </description>
    <category>馬鹿実験</category>
    <link>https://system626.blog.shinobi.jp/%E9%A6%AC%E9%B9%BF%E5%AE%9F%E9%A8%93/%E5%9B%9E%E8%BB%A2%E5%AF%BF%E5%8F%B8%E3%81%A7%E3%83%81%E3%83%A7%E3%82%B3%E3%83%91%E3%83%95%E3%82%A7%E3%82%92%E9%A3%9F%E3%81%B9%E3%82%8B%E8%A1%8C%E7%82%BA</link>
    <pubDate>Wed, 21 Feb 2007 10:29:35 GMT</pubDate>
    <guid isPermaLink="false">system626.blog.shinobi.jp://entry/43</guid>
  </item>
    <item>
    <title>グロテスク・マインド</title>
    <description>
    <![CDATA[<p><strong>-part1-<br />
</strong>科学とは何か。それは世界にある諸事物、森羅万象を一般法則に基づいて規定することだ。換言すると、&ldquo;これ&rdquo;は&ldquo;これ&rdquo;であることを立証するシステムであり、&ldquo;自己同一性&rdquo;を担保する共通規格である。そして一度何かを&ldquo;A&rdquo;と規定することにより、それはA以外の何ものでもなくなる。例えばそれを&ldquo;B&rdquo;でもあり同時に&ldquo;C&rdquo;でもあるなどと主張することを、現代科学では「異常」と呼ぶ。そして規定し得ないものの存在を主張することを「非科学的」と呼ぶ。<br />
<br />
それらがネガティブなイメージを持って語られるのは、社会や人間関係を正常に回すという前提に抵触するからであるが、それに触れない限りにおいては「異常なもの」「非科学的なもの」も社会との共存を許される。いやむしろ潤滑油として積極的に活用されることすらある。例えば「奇跡」という概念だ。<br />
<br />
固定された&ldquo;A&rdquo;という存在は、規定されているが故に、決して&ldquo;B&rdquo;になることができない。AとBの間の絶対的溝の存在は自己同一性を確立した現代人にとっては半ば自明のことであり、現代科学を前提にして回る社会は、必然的にこの溝を引き受けて生きていくことになる。陳腐だが切実でもある&ldquo;現代社会の孤独&rdquo;というフレーズには意味があり、それを認識することを「絶望」と呼ぶ。A=Bにはなり得ない。人と人は分かり合えない。もしそれが可能であるならば、それこそ奇跡であると。<br />
<br />
決して交じり合うことのない存在同士が繋がる。「奇跡」とはそういう意味だ。そして社会はそれを必要とし、不条理と知りつつもそんな希望にすがる。<br />
<br />
<br />
<br />
<b>-part2-</b><br />
ある日電車に乗っていると、とても気持ちの悪い物を見た。骨や神経が見えやすいようなかたちで、あちこち切り刻まれている人体の標本。そんなものがでかでかと載っているつり革広告だった。<br />
<br />
&nbsp;</p>
<blockquote>-<a target="_blank" href="http://www.jintai.co.jp/index_top.html">人体の不思議展</a>-<br />
「からだのなか、見えないから、見たくなる。」</blockquote>
<p><br />
<br />
そう題された展示会のお知らせに興味を引かれ、じっくりと説明を読んでみると驚愕の事実を知らされる。&ldquo;本展で展示されているすべての人体標本は、生前からの意志に基づく献体によって提供されたものです&rdquo;とある。なんと、全部ホンモノの人体！それが所狭しと並んでいるというではないか。そんなすごい物があるのなら、これはぜひとも見に行かなくては&hellip;。<br />
<br />
<a href="//system626.blog.shinobi.jp/File/guro.jpg" target="_blank"><img border="0" src="//system626.blog.shinobi.jp/Img/1233382762/" alt="" /></a> <br />
<br />
ということでさっそく次の休みの日、取るものもとりあえず展示会のあるさいたまスーパーアリーナまでやって来た。なんとなく即興で作った感じの展示場で、しかも1,500円という高めの入場料の割には人の入りもまあまあで、それなりの賑わいを見せている。まったく世の中物好きや野次馬には事欠かない。<br />
と自分のことは棚に上げつつ中に入ってみると、この展示会の主旨についてかかれた大きなプレートが目に入る。曰く『人体標本を通じて「人間とは」「命とは」を来場者に理解、実感していただく』こと、そしてそれを可能にした新技術たる『プラストミック標本』について。<br />
人体保存において一番問題になる腐敗と収縮を防ぐため、まず遺体を真空状態に置き、そこに合成樹脂を浸透させることにより半永久的に保存することが可能になるというプラストミック技術。そのようにして作り出された人体標本が会場の至る所に展示されていた。<br />
<br />
人の手がガラスケースの中に無造作に置かれている。その横にはスライスされた脳。剥き出しにされた肺、心臓、内臓。毛穴までくっきり残っている人の顔は輪切りにされ、歯の神経まで確認できる。癌に侵された臓器やら、アルツハイマー患者の脳までもがあり、成長過程の胎児にはうっすらと毛が生えていて、思った以上に人の形を成している。説明には生前からの意志に基づく献体によって提供されたとあるが、アルツハイマー患者や胎児に対してはどうやって合意を得たのだろうか。決して美談でないことは想像に難くない。<br />
そんなことを考えているうちに、最初の好奇心は徐々に嫌悪へと変わり、目の前の人体は感情を持った人間というより、即物的な肉片の塊へと変容していく。<br />
出口付近に一体、実際に触れることのできる標本があった。それを心置きなく突っつきまわしながら、&ldquo;ああ、人の筋肉はビーフジャーキーのようだよ&rdquo;なんてことを漠然と考えた。<br />
<br />
<br />
<br />
<b>-part3-</b><br />
愛すべき人間。憎むこともあれ、常に愛してやまない他者。その対象たる肉体は、人と人を分かつ最後の壁だ。しかしその最後の壁を強引にこじ開けたところで、そこにあるのはただのグロテスクな肉片だけということを知っているだろうか。一つになりたいと欲してやまない相手の体は、時に醜悪な対象でありうることを感じたことはあるだろうか。そんな絶望的な精神を救うのは結局のところ&ldquo;奇跡&rdquo;だけなのだと、何となく思った。</p>]]>
    </description>
    <category>日記・コラム</category>
    <link>https://system626.blog.shinobi.jp/%E6%97%A5%E8%A8%98%E3%83%BB%E3%82%B3%E3%83%A9%E3%83%A0/%E3%82%B0%E3%83%AD%E3%83%86%E3%82%B9%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%89</link>
    <pubDate>Sat, 23 Dec 2006 11:29:18 GMT</pubDate>
    <guid isPermaLink="false">system626.blog.shinobi.jp://entry/33</guid>
  </item>
    <item>
    <title>10月下旬に凝視されるダリの三つの対象郡</title>
    <description>
    <![CDATA[<a href="//system626.blog.shinobi.jp/File/dali_2.jpg" target="_blank"><img border="0" src="//system626.blog.shinobi.jp/Img/1233382700/" alt="" /></a><br />
<br />
ダリの絵を見た。例の上野でやってる<a target="_blank" href="http://www.ueno-mori.org/special/dali/">回顧展</a>だ。馬鹿みたいに混んでいて、入り口にいるスタッフが、チケットを買ってから中に入るまで45分待ちだと大声で叫んでいる。ずらっと並んだ人々の列の最後尾に向かいながら、美術展というのはこんなにも混むものなのかとちょっと辟易する。そもそも美術館なんてところにやって来るのは初めてだし、こちらもご多分に漏れず、ミーハー的野次馬的好奇心でやって来た大多数のうちの一人なのだが。何か美術展に行ってきたって言えばかっこいいかなぐらいの、ちょっとした虚栄心であることはまあ間違いない。<br />
<br />
でもダリに興味があるのも事実ではある。それほど美術に関心があるわけでも、造詣が深いわけでもないけれど、シュールレアリスムに関してはちょっと心引かれるものがある。正直モネとかルノアールみたいな、いかにも芸術然とした印象派の美術展が開かれようと、おそらく行くことなんかないだろう。もちろん好みの問題だけど。印象派の絵は、観るものを弛緩させ、絵の世界と自分との関係を和らげるような、そんな&ldquo;美しさそのもの&rdquo;を表現したタイプのものだが、逆にダリを代表とするシュールレアリスムの絵は、鑑賞者をはねつけ、孤独にし、不安を喚起する、どこか偏執的な感じのするものだ。それが妙に魅力的だったりする。<br />
<br />
そもそもシュールレアリスムとは何か。一応来る前に下調べはしておいた。<br />
<br />
&nbsp;
<p>&nbsp;</p>
<blockquote>－シュールレアリスム－<br />
理性によって規定された表層的世界に隣接する、規定し得ないものを表記していく芸術的運動。&ldquo;非現実的&rdquo;ということではなくむしろ過剰なまでに現実的という意味において、&ldquo;超現実&rdquo;と換言される。日常的な町並みや景色の中に見え隠れする「過剰さ」「強度」に晒されることにより訪れる精神的自由の喚起、開放を目的とする。思想的にフロイトの精神分析に強く影響を受け、無意識や集団の意識、夢、偶然等を重視して表現される。代表的な画家としては、マックス・エルンスト、サルバドール・ダリ、ルネ・マグリット、イヴ・タンギー、ポール・デルヴォーなどがいる。</blockquote>
<p><br />
<br />
こんなところか。人がダリに求めるのは、写実的日常性の中に垣間見える不気味な&ldquo;何か&rdquo;だ。見えないものが見たい、そういう単純な衝動がダリの人気の本質ではないのかと個人的には思っていたりする。世界は見えているものがすべてではないということを確認するために、人々はわざわざこんなところまでやって来て行列をつくる。少なくとも自分はそうだ。<br />
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なんてことを思っている内に列ははけ、20分そこらで美術館内に入ることができた。館内入り口からは細長い通路になっていて、通路の壁にはダリについて、ダリ美術館についての説明が書いてある。しばらく歩くと絵画の展示場に出る。案の定一つ一つの画の前には黒山の人だかりが出来ていて、遠目にしか見ることができない。仕方がないので辛抱強く人が流れていくのをじっと待つ。少しずつ絵画の前へと近づいていくと、まず目に入るのが初期のダリの自画像だったり、彼の妹の肖像画だったりする。まあ、こんな物かな、なんてことを思いつつ観ていると、次の三つ並んだ作品の前で目が留まる。<br />
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・早春の日々　The First Days of Spring<br />
・平均的官僚　The Average Bureaucrat<br />
・手（良心の呵責）　Hand (Remorse of Conscience)<br />
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<a href="//system626.blog.shinobi.jp/File/daysofspring.jpg" target="_blank"><img border="0" align="absBottom" src="//system626.blog.shinobi.jp/Img/1233735858/" alt="daysofspring.jpg" /></a><br />
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不思議な絵だった。神秘的でいて、なおかつ細部まで緻密に描写され、どことなく現実味を漂わせている。ぎりぎりまで絵に近づいて凝視してみる。そして引く。そしてまた近づく。そんな事を数回繰り返す。絵を体感する、そんな感じで。<br />
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<a href="//system626.blog.shinobi.jp/File/T.A.B..jpg" target="_blank"><img border="0" align="absBottom" src="//system626.blog.shinobi.jp/Img/1297994874/" alt="T.A.B..jpg" /></a><br />
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凝縮と弛緩。身体的な反復運動は徐々に対象との感覚的距離を縮め、周りの風景から自分を切り出すことに成功する。周囲の群集からいつの間にか切り離され、絵と自分だけが取り残される。神秘的で不気味な絵と共に。そこでは様々な悪夢やら白昼夢やらが、なぜかとても懐かしいような奇妙な感覚と共に訪れ、それに満たされている間中、なんだか妙に幸せだった。<br />
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<a href="//system626.blog.shinobi.jp/File/hand.jpg" target="_blank"><img border="0" align="absBottom" src="//system626.blog.shinobi.jp/Img/1278419208/" alt="hand.jpg" /></a><br />
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～∵～&there4;～∵～&there4;～∵～&there4;～∵～&there4;～∵～&there4;～∵～&there4;～∵<br />
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全ての絵を見終えて、出口付近にある売店にたどり着くころには、すっかり疲れ果て、目の奥がじんじんと痛んだ。すっかり喧騒へと立ち返り、今は周りの多くの人と共に売店のグッズを一つ一つ見て回る。特に気を引くものはなかったが、チュッパチャプスが売っていたのでそれを買った。チュッパチャプスのロゴはダリがデザインしたもの、というのを前にどこかテレビで見たような気もするが、舐めてみるとやっぱりそれはただのアメだった。<br />
外に出てみるともうすでに薄暗く、冷ややかな外気だけがいつもよりはっきりと感じられた。</p>]]>
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    <category>日記・コラム</category>
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    <pubDate>Sun, 29 Oct 2006 06:37:35 GMT</pubDate>
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    <item>
    <title>えいえんのスイカ　－始まりと終わりと普遍という視座－</title>
    <description>
    <![CDATA[<p><span style="font-family: 'ＭＳ Ｐゴシック';">それがもうすでにどこにも売ってないと気付いたのは、</span><span lang="EN-US">9</span><span style="font-family: 'ＭＳ Ｐゴシック';">月に入って二、三週間ぐらいたったころだろうか。悪いことに、入手困難になって初めてそれが欲しことに気付く。まあ、そもそも気まぐれとはそういうものだ。普段は別段気にも掛けないものが、ある日突然思いつきで気になってしょうがなくなる。今回も正にそうだ。もう時間がないことは分かっている。この機会を逃せば、今年はもう絶対に手に入れることはできないだろう。無論、まがいものなら手に入るかもしれないが、それでは駄目だ。なんとなくそう思う。そんなワケであちこちのスーパーやら八百屋やらを物色する羽目になるのだが。<br />
<br />
スイカが食べたいと久しぶりに思った。あればあるで特に気にもせずに食べるものだけど、取り立ててスイカが食べたいなんて思うことは正直無い。甘いものなら他にいくらでもあるし、喉が渇いたのなら渇きを癒す方法なんていくらでもある。しかし今回はそうじゃない。スイカだ。スイカじゃなくちゃ駄目だ。夏の風物詩だからどうとか、スイカに含まれるリコピンが健康に良いからだとか、そういうことではない。突然スイカが自分の中に降りてきて、気になってしょうがない。そんな感じだ。しかも温室栽培でぬくぬく育ったような一年中いつでも食べられるスイカではなく、今年の夏の強烈な日差しを浴びて採れたホンモノのスイカがどうしても食べたい。そんなわけの分からない衝動に駆られつつ、今日も今日とてあちこちの店を回ってみたりするのだが、これで何件目だろう、本当にどこにもない。そして気付いた。もう時期が過ぎてしまったのだと。</span><br />
<br />
<span style="font-family: 'ＭＳ Ｐゴシック';">何かが貴重だと感じるのは、その時期が終わりに近づいてきてからというのはある意味興味深い。同じスイカでも、一年中手に入るものとしてのスイカと、今期最後であるスイカとではやはり何かが違う。今年限りという一回性と不可逆性が特別という概念を生み出す。特別という概念は、&ldquo;始まり&rdquo;と&ldquo;終わり&rdquo;が存在して始めて認識されるものだ。特別なもの、かけがえのないもの、その断片を今年のスイカの中に見たのだった。<br />
<br />
そこで、始まりと終わりについて深く考えてみた。<br />
<br />
<a href="//system626.blog.shinobi.jp/File/240px-System_boundary.svg.png" target="_blank"><img src="//system626.blog.shinobi.jp/Img/1282368672/" alt="240px-System_boundary.svg.png" border="0" align="textTop" /></a><br />
<br />
</span></p>
<blockquote style="margin-right: 0px;" dir="ltr">
<p>深度1　始まり<br />
<br />
何かが&ldquo;存在&rdquo;している、ということを証明するために必要なものが2つある。一つ目は、&ldquo;ない&rdquo;という状態と&ldquo;ある&rdquo;という状態を分かつ<strong>境界</strong>。二つ目は&ldquo;ない&rdquo;という領域（境界の外側）と、何かが&ldquo;ある&rdquo;という領域（境界の内側）を俯瞰する、二つの領域をまたぐ<strong>視点</strong>。この俯瞰する視点から境界内部の存在を指し示すことにより、初めて何かが存在すると証明することができる。境界の外部からの視点があって初めて&ldquo;存在&rdquo;は規定される。そしてこの境界を認識することを&ldquo;始まり&rdquo;と呼ぶ。<br />
<br />
<br />
深度2　終わり<br />
<br />
何かが終わるとは連続性の断絶を意味する。断絶するものとは、&ldquo;ある&rdquo;と&ldquo;ない&rdquo;を分かつ境界の方か、もしくはそれを見つめる視座のどちらかだ。前者が断絶するとは、規定された対象自体の消滅のことであり、後者の断絶とは、その存在を規定する意味づけそのものの消滅のことだ。<br />
<br />
<br />
深度3　特別と永遠<br />
<br />
特別という概念を、始まりと終わりのある世界の中の希少な何かであると規定するならば、永遠とはちょうどその反対にあたるものと言える。つまり、始まりや終わりを規定する境界がない、もしくは境界の内にも外にも偏在し、現れることも消えることもなくただ存在する何か、ということである。始まりと終わりがある世界において、何かがふと、境界の内側にありながら外側を垣間見せる時、その何かは初めて特別なものとなりうる。特別を特別たらしめるのは、その向こうに&ldquo;永遠&rdquo;を見せるからであり、有限性の中に立ち現れる普遍性こそが特別の源になるのである。</p>
</blockquote>
<p><br />
<br />
そして、えいえんのスイカを夢想する。赤く瑞々しいそれにかぶりつき喉を潤す瞬間を。それは甘く涼しげで、そしてなんだか懐かしい感じがした。<br />
<br />
<a target="_blank" href="//system626.blog.shinobi.jp/File/suika.jpg"><img alt="" src="//system626.blog.shinobi.jp/Img/1233499694/" border="0" /></a></p>]]>
    </description>
    <category>日記・コラム</category>
    <link>https://system626.blog.shinobi.jp/%E6%97%A5%E8%A8%98%E3%83%BB%E3%82%B3%E3%83%A9%E3%83%A0/%E3%81%88%E3%81%84%E3%81%88%E3%82%93%E3%81%AE%E3%82%B9%E3%82%A4%E3%82%AB%E3%80%80%EF%BC%8D%E5%A7%8B%E3%81%BE%E3%82%8A%E3%81%A8%E7%B5%82%E3%82%8F%E3%82%8A%E3%81%A8%E6%99%AE%E9%81%8D%E3%81%A8%E3%81%84%E3%81%86%E8%A6%96%E5%BA%A7%EF%BC%8D</link>
    <pubDate>Sat, 30 Sep 2006 03:14:00 GMT</pubDate>
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  </item>

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